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だいじょうぶ日記

思いつくままつぶやく独り言ブログ。私はだいじょうぶ!

生き恥を晒して生きる。

たぶん、悲しみがなくなることなんて、ないのだろうなー。

抱えたまま、生きるんだろうな。


私は「悲しみが完全になくなる」ことを、たぶん目指していたんだ。

そしたら、ラクになると思ってたんだよね。


頑張ってる生きていれば、いつかなくなるって信じてたんだよねー。


でも、なくなるなんて、たぶんないんじゃないかな。


「癒える」という言葉があるけれど。

これはよくわからない。


ただ、悲しみが「ある」ことがわかっていて、一緒に生きていくんだろうな、という感じがする。


これも私の一部だから、きっと一緒に生きていくんだろう。


慰めながら、生きていくしかないのかな。


今は、それが悲しいというより、「仕方ないよな」と思う。


たまに悲しみが、何かに刺激されて大きくなって辛くなったりもするんだろうけれど、それも「仕方ないよな」と。


楽しいことが続いていて、忘れることもあるかもしれないし、そうしていたらいつか癒えるのかもしれない。


でも、完全になくなりはしないんだろう。


それがあるとしたら、たぶん私が記憶喪失になるか。それでも体は覚えているだろうから、、やっぱりない。


悲しみは常にあって、なかったことにしない。

私に今できるのは、そのくらいのこと。


たぶん、記憶ががーっ!!と蘇って、うわー!!と、憎しみを吐き出したくなるのは、

その奥に悲しみがあるからで。


記憶を思い出したりするのは、ネガテイブな感じはするものの、奥のものにたどり着くまでに必要な過程というか。

それも仕方がない。


これをするたび、私は随分と記憶を喪失しているなー、と思う。

思い出したくないことが、いっぱいなんだろうな。

その憎しみとか、うわー!!という自分の感情が汚すぎて、自分に引く。


でも、そこで終わるとね。

その方がラクだったりする??

泣かなくて済むっていうか。


「私、どうせ汚いから」と、自虐で終わらせた方がラク??

悲しみにフタをできちゃうんだよね。


奥の悲しみに気がつくと、ただおいおい泣くしかないじゃない。

武器も鎧も、何もなくなって。

ただ、泣くしかないんだよね。


おいおい泣いて。


「自立した大人像」のようなものは、なーんにもない。


「自立した大人」には、生きている限りなることはできない。

「生かされている」時点で、「自立」は、ありえないからだ。


どんなにかっこつけても、強がっても、自分の力でない。


生きてること自体が、恥さらしのようなものだ。


泣いて、生き恥を晒して、生きていく。


黒歴史?そんなのばっかり。

恥だらけ。

きっと、この今も恥だらけ。痛い黒歴史。


これも、もう仕方ないんだろうな。


そして、それで良いと思う。


恥さらしで、いいじゃない。

イタイ人生でも、いいじゃない。

失敗人生でも、いいじゃない。


ここに生きているだけで、もういいじゃない。


私の人生、残りどのくらいあるかわからないけれど。

たくさん失敗して、泣いて笑って、生きていけば良いんだと思うよ。


そもそも、成功の定義もよくわからない。


失敗して、黒歴史をたくさん作って、そんなもんでいいんじゃないかな。


棺桶に入った時「たくさん黒歴史作りました!」で良いんじゃないかな。


それも歴史の一つになるなら、イタくても黒くても恥だらけでも、立派な感じすらする笑。


いわゆる立派な人生は立派だけれど、わたしがそれを目指す理由もなければ、素質もないのだ。それだけのこと。


それを隠して生きていくか、

生き恥晒して生きていくか。


隠すのが辛くなった、かと言って死ぬのも違う。

生き恥さらして生きていくしかないな、というのが今の感じ。

私が明らかにするものは『奥の悲しみ』と『生かしてくれる周り』

そう、「生かされて」いる。【と、いうことは??】【つまり、それならば!?】 - 「すみません、ただのオンナに戻ります」。

 

今日も真穂さんのブログから抜粋。


真穂さん、ありがとうございます(号泣)


自分を大切にする=自分を構成している、生かしてくれている周囲をも明らかに見る ってこと

 

傲慢でいなければとても保てない、

その奥の悲しみが、あまりに強いからでしょう?

そこを守ってあげたくて、傲慢にならざるを得ない。

 

でもそのゲームさえも、もう、つらいんでしょう?

全部丸ごと、捨てたいんでしょう?しがらみも、執着も。

 

そこに、あともう一歩だと思う。

イタいけど、進む一歩があると思う。


仕事帰りの電車で真穂さんのブログをみて、電車の中で涙涙。

帰宅後、夕食の支度に玉ねぎを切り、ごまかしながら、涙涙。


夫に話を聞いてもらって、今、ようやく少し落ち着いてきた。

そうです。

私は、傲慢ですが、奥に悲しみがあります。

本丸きた!て感じ。


あと、私を生かしてくれる周りを明らかにみていくこと。


今は、両方同時にできないと思うので。

先に、悲しみの方を見ます。


これは真穂さんのブログを見る前の話で。

昨夜遅く、『不仲だったけれど、お互いぶつかりあって和解した親子』に憧れてる自分に気がついた。

でもね、もうそれは『きっぱり諦めよう』と。『もう会わなくてもいい』と、思った。

そうすることにした。


『夕に感謝』が目に入ったとき、そうはいっても、何に感謝するか具体的に考えようとすると…

よくいう『産んでくれた親を感謝しなさい』に拒否反応というか、強制される感覚があって。

(産んでくれたこと自体には感謝かもしれないけれど、親という人間に感謝はできない)

そして、私が感謝することは『今、この世に生かされてることかな?』だったんだけれど。ぼんやりだった。


真穂さんが、丁寧に丁寧に書いてくれたから。周りをよく見よう。


疲れた。

少し休んで、自分の悲しみから、みて明らかにしていこう。

朝に礼拝、夕に感謝。

神様は本当に仕事が早い。

昨日、自分の傲慢さに気が付かされて、この言葉が目に入った。

 

「朝に礼拝、夕に感謝。」

 

朝は、これから始まる一日を祈り、

夕(仕事終わり、寝る前)に、過ごした一日を感謝する。

といったことだろう。

 

私は宗教のことはよくわからないけれど、

仏教でもキリスト教でも「朝夕の祈り」があると思う。

宗教関係なく、共通のこと。

 

私は、何に感謝する??

持っているもの?今日の健康?

それらも有難いことだけれど。

 

私が一番、感謝したいことは、

 

「今、ここに”生”を受けていること」

 

「この場(世)に生かされていることだな~」と思った。

 

今持っているもの(身体、健康を含めて)は全て「付属品」。

 

ここに「ありがたみ」を、偏らせてしまっていた。

もっと根底にある、私が受けている「生命」こそが、最高の持ち物(持たされているもの)なんだな。

 

逆だったんだ、私は。

「生かされていること」に感謝をして、ありがたみを感じるからこそ、

「付属品」を楽しむことができる。

 

私は、「付属品」をたくさんもって、増やして、楽しむことばかりに目が行き過ぎていた。

これはもちろん悪いことではないけれど、

根底の「生命」を忘れてはいけないよ、ということ。

「生を受けていることに感謝」が核だよ、ということ。

 

今朝は、とても晴れやかで、さわやか。

ウキウキする春の日。

 

ここに「生かされていること」の幸せを噛みしめて、一日を過ごそうと思う。

【保存版】私の点検用に。『勘違いしてない?』

あなた、何様?

 

 

弱い、かっこわるい、情けない自分を、

ただ自分だけが、真正面から受け止めていくことだけを

地味に愚直に続けていかないと。

 

その優越感や被害者意識のその奥の奥にある、

「それを持ってその世界で生きていないと、とてもじゃないけど保てない自分の弱さ繊細さ」を、

自分が明らかに見てあげて、気づいてあげて、受け止めないと。

 

つまり【何かよくわかんないけど見えない運や縁など】の力も手伝って、

【コトがかなりあっさり上手くいくようになり過ぎる】ので、

 

「勝ち」組がわへ

自分が行けたような、行っているような、錯覚を起こすから。

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世間で『価値がある』と思われているモノは、実は幻で、ガラクタ。

苦しみ抜けた!とりあえず。

私は苦しむとき、過去のことを細かく思い出す。
辛い、悔しい、怒り、といった、
強くて叫びたくなるような感情と一緒に。

それを思い出して、余計にうわー!!ってなる。

落ち着いてくると、
悲しくて泣けてくるんだけど。

そしたら、良いことも思い出す。

私は、今日嬉しいことを思い出して、シアワセだなー、嬉しいなーと思った。

なんてことはない話だけれど。

今日、お昼ゴハンを1人で食べた。
誰もいないお店。
私が入って、注文した料理が出されたころ、
みるみるうちにお店が満杯になった。

それで思い出した。

私は『福の神』と呼ばれていたことがあった!

私がいくお店(居酒屋とかバーだけど)は、私が遊びにいくと、とたんにお客さんが満杯になる、ということが何度かあって。

友達が面白がって、アルバイト先に呼んでくれたりして。

やっぱり、そうで。

という時があって、あちこちに呼ばれてとても楽しかった時代??若かりし頃があった。

たくさんご馳走してもらった笑。

この数日間、
『私はとんでもなくイヤなやつだ!』
と、強く感じていたのだけれど。

喜ばれていたときも、あったんだよねー。

でね、『しあわせ』は、こういうものなのかもしれないなー、と。

当時、私は確実にお金がなかったけれど、
『貧乏だ』とは、思ってなかった。

親から自由になれたこと、大人になれたことが嬉しかった。
人生を満喫してたんだよね。楽しかった!

出会う人出会う人、皆ハッピーだったと思う。

学歴はさまざまで、私の学歴は完全にネタになってて(見えないからね)、私も仲間入りさせてもらったようで、とても楽しかったんだよねー。

居場所があった。

自信とか、お金とか、プライドとか??

なんにもなかったと思うけれど。ただ、楽しかったなー。

今、どうしてこうなっちゃったんだろ??

垢のようなものかな??

また、あの自由な時のように、軽やかに笑ってくらそう。

私は色々と変なものを背負いすぎたのかもしれない。
それも、勝手に。いらないものをね。

世間で『立派、良い』とされるもの。

例えば、会社とか身分とか役職とか。

ドンドンと背負っていって。

そういった諸々に価値を、優越感を感じていったのかもしれない。

本当は、幻の、価値がないものに。


はい。断捨離でございますな。

私が持っている、幻の荷物はいらないね。

ポイ!ポイ!!!!
ヽ(・∀・)ぽーーーーーーい!!!

さよなら!幻の宝石たちよ!!!
ガラクタたちよ!!

君たちに『価値』を感じることをやめることにしたよ。
今までありがとう。お世話になりました!!!
バイバイ!!

少し私信。『私の価値は学歴にある』は簡単に手放せないようだ。

 真穂さん、私は元気でーす(*゚∀゚*)


体調は大丈夫ですか?いつも真摯に受け止めてくださってありがとうございますと思いつつ、申し訳ない気持ちも。。。><


 こちらこそ、ご心配かけてしまってすみません。

『申し訳ない』なんて!!こちらこそ気がつかせて頂いてありがとうございます。


必死に何かを成し得て「ドヤッ」ても、「羨ましいとも思わない。(以上。)」の世界に生きてる人には、結局なんにも通用しない。 - 「すみません、ただのオンナに戻ります」。

 

 ↑真穂さんのブログに、私の独り言が紹介されたという…

お忙しいのに、読んでくださってありがとうございます。


以上、私信的なものおしまい。


それで、その後。


一週間前を振り返った。

私は、確かに同じ題材について、諦めて、捨てた。ちゃんと書いてあった。 

 

優劣、勝負の世界を引退する。おつかれさま、私。 - だいじょうぶ日記

 

 生半可な気持ちで書いたんじゃない。

泣いて泣いて捨てたんだ。


それなのに、まだ持ってるんだ!


今度は濃いペンで書き出した。

ちゃんと、直視できるように。ごまかさないように。


途中で苦しくて

また真穂さんに助けてメールして、ブログで返信してもらったときと同じ感じになった。

過去書いたものをあさって、ほぼ同じだった。


嫌な自分を受け入れられなくて悶絶~復活(;・∀・)??~諦め。 - だいじょうぶ日記

 

 今、そのままの自分をいったん置いている。

苦しみ期間は抜けたようだけれど、悲しさもある。


簡単に捨てられなさそうだから。


私にとって『学歴』は予想以上に大きな意味がある、と気がついた。


お金、女の子のキラキラ、嫉妬、毒親、色んなものが混ざってる。


真穂さんの音声配信で、六大学の話が出たけれど、私は六大学を知らない。

私立の偏差値を、そもそも知らない。


決してバカにしてるのではなく、素直に羨ましい。

お金をかけて大学(専門学校でも)にいけて、キラキラリア充できる環境にあった人たちが羨ましくて仕方がない。

高校の時から嫉妬してた。


私が受験を許されたのは、国立一ヶ所。

高校の時でも、殴られた。

土下座しても浪人は絶対ゆるさないって。


高校の時に、大学が落ちたら働けるように資格を取った。


国立にいったらいったで、だいたい浪人ばかり、同級生も年上ばかりで、みんな恵まれてる。

予備校に通わせてもらっていた。


奨学金を借りてバイトしまくってた私はバカにされてた気分になった。

教授にさえ、

『金がないやつは勉学する資格がない』と言われた。


高校の友達に誘われて合コンにいったら、私大の人たちの方が多いから、またバカにされた気分になる。

大学名をいったら、『なんでこんなところにいるの?』になるし、まずモテない。


卒業してから、慶応出身の知り合いに

『お金がないから国立に行ったんだね』と、マジで言われた。


上智とどこか有名な私大の人には

『私さんのような言葉遣いの人は活躍できない』というようなことを言われた。


要は『言葉から育ちがわかる、キミには活躍する場がないよ』と言われたのだ。


祖母(毒親の毒親)には、

『女に学があったってロクな事がない』と言われた。


もう、学歴自体がコンプレックスだった。


でも、これが守ってくれた。


毒親から逃げて、自分を養えるお守りになった。


某外資日本法人の人事は、給与交渉のときに、『ドコドコ大学だったね』から始まった。

私の名前より学歴で覚えてもらっていたから、悪くない待遇で働けた。


そこで、私は学歴の価値を知った。


でも、その会社は世界が広くて、私の容姿と学歴はコンプレックスにまたなった。

私は頑張ったけれど、『自分の限界』を思い知った。


泣く泣く、限界を知って、もうダメだ、と諦めて、やめた。

事実、精神が病んでいた人が多かった。


そんなことを、ずーっと思い出した。


一度諦めてる。

自分がどう頑張って、寝ないで働いても

『世の中の能力的に大したことない』

って、散々痛い目にあって、知っている。


それでも、

・そういう世界で自分が価値がある。

・努力した自分がすごいだろ!敬え!


と、優位に立とうとしている。



一週間前に『捨てた!』と思ったけれど、


簡単に『捨てられた!捨てられる!』

と思っていた私が甘かった。


だってね、私のお守りだもん。


毒親から逃げて、自分を養えるようになったのは、これがあったから。


今は、とりあえず学歴を握りしめてる自分を見て、意識しようと思う。


しばらく持ちつづけて。感謝して。

そしたら、『ありがと』と、サヨナラできるような気がする。


ポイ!とは、簡単に捨てられなそうだけど。


今回気がつけただけでも大収穫だったと思っている。


『私の価値を学歴に見出している』ことを。


井の中の蛙でカッコ悪いんだけれど、それも自分だから。しばらく一緒にいようと思う。


 ちゃんと、みて。お別れするのは、そのあと。


そしたらきっと、優劣とか、そういうのも少しずつでも消化されていく気がする。

真穂さんの音声配信 3月3回目『基本への立ち返り』を聴いて

今回キケン。

吐いた。


やばい、まだ気持ちが悪い。


うーえー。


ノートには、書けない。

体力回復してから書く。


音声配信を聴いただけで吐くって。

よっぽど痛い部分なんだな。


今回の私のイタイポイント、琴線にふれたのは、主に2つ。


1つめ。

弱い方。真穂さんの

ただの女になって、スゴイ。と、またそれが変なプライド、鎧になって、周りを攻撃してる。同じことしてる。


2つめ。

これが、たぶん私を吐かせた。

ジョーさんの

『羨ましいとも思わない』。大学のこと。


こっち、私はまだしがみ付いてるんだなー。

たった一週間前、このブログに泣きながら書いたのにな。

まだ、持ってるんだ。


これ、グサッときたもんね。


私は『羨ましい』と思われたいんだなー。

それも学歴のことで。

もうずっと昔のことなのに。


ホント、真穂さんの音声配信はいつもタイムリーで、丁度数日前に夫と同じような話をしたばかりだった。


夫は私のことを理解できてなくて。

夫は努力をしてないまま生きてきたから、分からない。この悔しさ。


私は、自分の存在価値はやっぱりそこなんだなー。

悔しいんだけど。大したことないは自分が分かってるのに。なんでー。まだこだわるのー??




真穂さんはやっぱりスゴイな、と思った。

今回は臨場感に溢れてて、それすぐ音声配信できる、自分がダメと思っているところを出せるところがスゴイなーと。


私も、今まで遠慮してたようなスゴイ人に、どんどん会いに行こう、と思った。


あー、やっぱり気持ち悪い。


また書く。