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だいじょうぶ日記

思いつくままつぶやく独り言ブログ。私はだいじょうぶ!

血筋(ご先祖様と子供)の中で傷つき、許し、許され、守られる。

「夫が毒親から守ってくれた」
→毒親の恐怖が薄まった
→許せる(怒りを手放す)

感じだったんだけれど、

夫だけでなく、
夫のご先祖さま?、夫との子ども(特に上の子)という、
「夫の(特に夫の父方)家系」
に「守られている」感覚がある。

いくつか「偶然すぎるだろう!!」ということが起こり、気持ちが悪いほど感じることがあって。

縁、とか。そういうものかな。

「夫の家(家系)という脈に私と私の上の子が入ったんだな」と感じる。
その脈のような、家系という見えない流れた私が守られている。

細かに書こうと思ったけれど、とても書けるようなものではなく、夫の家系の情報満載になるから書くのはやめる。

ただ、夫だけでなく、その脈全体に守られてる。
私の下の子は言わずもがな。
将来、そこを守る方に回るんだな。と。
夫も、そこを守る側に移りつつあるのかもしれない。

私は、そこに一緒に守られつつ、時には守る存在の、脈をつなぐ存在として。
この世に生かされているのかもしれない。

とにかく、夫の血流?血筋を感じる今日この頃。


あと、他の出来事としては。

他の複数の家庭の話。
親が大人になった子供(社会人、結婚する人など)に執着する、コントロールするところをまざまざと見せられた。

「私の親みたいだな」と思い子供側に同情したものだけれど、
結局のところ子供も依存していて、親が執着するように、不安がって大騒ぎするように、
仕向けていたというか。
子供側も依存しているように見受けられた家族をみた。

その親は、私をもコントロールしようとしてきた。
しかし、断固としてスルーというか、うなぎのようにヌルヌル逃げることに成功しつつある。

また、他の家庭のケースもみて。
子供側は、昔の私を見ているよう。

「親は関係ない!私は私で幸せになる!!」と決意し、行動に移したところで。
その話を聞いて、「私もそんな感じだった」と。

初めて、現実の知人に
「私が親と決別したこと」を話した。経緯も、今の状態も。
虐待のことは言っていないけれど。


一週間も経たないうちに、色々なことがあり、色々なものを「見せられた」。

本当に「鏡」を見せられた。


時間がかかったけれど。
やっと、気がつくことができたんだと思う。

私にとっては、このタイミングだったのかな。
あまりにも多くの出来事が数日のうちに起こった。

バラバラだったパズルのピースが、全て1つにカチッとはまったかんじ。


今は、対象物がないもの?に感謝している。
源泉というのかな。
そんな感じのものに。

夫の血流の源。
私の血流の源。
親子問題を見せてくれた家系の源。
(私は今回親の絶縁話をした相手と、相手の家系の血脈、血縁も感じている。)

家系というか。血筋というか。
ご先祖様を含めての「縁」を感じる、濃い数日だった。

私の親子問題は、その縁と血筋、大きな血脈の中で、ちょっと厄介な問題だったのかも。
血がドロドロになってて、溜まってたまってできた、デキモノのようなもの。

そこで、血脈全体が動いて、手放して。
また、血脈が続いていくのだろう。
血脈の中で傷つき、許し(手放し)、守られる。

不思議だけれど、納得もできて、ありがたい感じになる。
私は、この血脈の一部になった。

夫の家系の血脈に。

私の親の方ではなくて、ご先祖様に「嫁として認められた」のかも笑。

…最初からそうだったんだけど。
そう私がやっと気がついて、本当に認め、認められた。そんな感じ。

私の「毒親を許す」は、たぶん「親への執着・怒りを手放す」こと。

虐待してた毒親を許す!

と、決める前後から色々な出来事が起きた。


私にとって意味がありそうなことたち。

偶然にしては、気味が悪い!と思ってしまうほど。

背筋がゾクゾクッとするような、

偶然すぎる、

壮大なしかけの中に仕組まれてた?


と、感じて驚きつつ、

ホエー( ゚д゚)となっていたのが


今は、落ち着いて、全部受け入れられるような感じがしてきている。



それらは、今度書くとして、


今思うのは

「毒親を許す」というのは、ニュアンスが違うかもしれない。


手っ取り早く分かりやすい言葉を使ってしまったけれど。


シンデレラ実写版を、子供と日本語訳で見たから

その言葉で「あなた(継母)を許します」だった。


forgive だった。

字面でみると、

永遠に与える。

という意味から派生してる。


愛を永遠に与えるってことかな。


私は認めたくなかったけれど、

心の中で親の愛を欲していたし、私も与えたかった(愛したかった)んだろう。


実際に、愛が存在してたんだとは思う。私が生きてるから。


許すっていうのは、これを認めて。

怒りを緩める(許す)んだな、と。


そして、今までの憎しみや怒りを手放すことなんだろうな。

と、今は思っている。


現実に親に何をしたわけではないけれど、

気持ちが、そう整理ついた。


これは、夫が守ってくれてるから、今安心して許せる(手放せる)と思っていたけれど。

それも大きいけれど、それだけではなくて。


1つは、自分に自信がついたこと。


もう、親と関わっても、自分はブレない確信がある。

親より自分と子ども、夫が私の家族で。

そっちを大事にすると決めたから。

泣き落とし、飴と鞭、色々あったけれど、それらに振り回されることがない。


もしあっても、夫が守ってくれる(結局のところそれ笑笑)



2つ目。

私も親に依存していた、と気がついたこと。


憎んだりなんだり、と。その感情に行き着いてたということは、私も親に依存し、執着していたわけだ。心のどこかでね。

「愛されたい」という気持ちを認めてなかったけど、持ってたわけだ。

それを、手放す。もういらない。



3つ目。

「毒親に復讐したい!苦しめ!!」と思ってた。

これを、手放す=許す。


猛烈に思ってたんだな、と気がついた。

でも、毒親は虐待とそもそも認めてなくて笑笑。「お前のために殴った!!」と、本気で思ってると思う。

それに「許す」と言っても、私は毒親に謝られたわけではない笑笑。


だから、私は「許す」というより、

憎しみ、怒りといった感情を「手放す」に近い。


過去より今の家族を大切にする。

それだけ。


もう一度書くけれど。

だからといって、仲良くなろうとは思ってない。

ただ、私の気持ちとして


「毒親を許す」

愛されたかったと認めた

執着・怒り・復讐心を手放そう


という感じ。

そして、今まで憎しみを感じていた自分を許そうと思う…。


こう行き着いたのは、夫のおかげでもあるんだけれど、夫と夫の先祖?と夫との子どもの存在がある。

あと、はじめに書いたように色々おきた出来事。

不思議すぎて…今度また書く。書けるかな?



毒親を許す=仲良し親子になる、はしなくても良い。

さっきの続き。

もう1つ気がついたこと。


虐待した親を恨んで許そうとしなかった理由。

恐怖の1つ。


それは、

親を許したら、

親を受け入れて、


・巷の仲良し親子

・同居


…のようなことを求められるだろう。

それが怖かった。


本当に怖かったのは、

「まだ、親に従わなくてはならない」

と思いこんでいたから。


もう殴られるわけではない。

私は大きくなった。


だから、

何でもかんでも

「親に従う」必要はないんだー!!笑笑



虐待親を許す=仲良し親子になる


でなくて、良いんだよね。

それはまた別だもん。


遠くに住んでて、疎遠でいても良し。

仲良し親子になりたかったら、なっても良し。


それは、その時の私と相手が決めること。


大事なのは、


私が心の中で、

・過去にされたことにこだわってるか?

・傷つけられる恐怖を持ってるのか?


だから。


もう、私は「あなたに従えません」と、

したくないことはキッパリ断ることができる!

「執着しないでください」も言える!

離れることもできる!


それなら許したって構わない。

恨んでた私自身を許したって構わないんだ。


…と気がついて、とてもラクになった。

モヤモヤが晴れた。


だいじょうぶ。

許したって、怖いことにならない。

好きなように、関係を持てばいい。

関係を持ちたくなかったら、それでも良い。


許したら、

・何かをしなくてはならない

・何かをさせられる


なんてことは無い。


だいじょうぶ!

許したあとは、好きなようにしたら良い。

虐待した親を許せそう(たぶん許した)

やーだー!ウケる!!

簡単すぎた!!爆笑!!


勘違い…というか、思い込んでたんだね。


許すもんか!!

って思ってたのは、恐怖からだったわけで。


許したら、あの親のことだから、また私のテリトリーに来るはず。なんどでも。

上手く絡んで執着して、夫や子供たちをも巻き込んで、めちゃくちゃにされると。


シンデレラの映画をみて、思い出した。


結婚するとき、一度許してる。はず。


でも、また子供が生まれてガタガタやられて、もうダメだ…だったんだよね。


それから、許せない。


カラダに残ってる傷が余計に気になって気になって、

これがなければオシャレできるのにー!キィーーー!!

みたいなね。


だから、恐怖で許せなかった、恨みが増えて自分を苦しめてた。


ほんとは、許したかったんだよね、また。

でも、また来たら怖いから許せなかった。



で!気がついたー!!


許してもね、

親がまたやって来るとは限らない!!


何年も音信不通やって、それでまたくる?

来ないかもしれないよね?

相手は年をとって、バイタリティも減って来てるはず。


それに気がついて、許すハードルが低くなった。


もしも、万が一来ても、怖いことになっても、

また、毒親の猛毒が来たとしてもね。


なんということでしょう!

今の私ならもう大丈夫な気がする!!笑笑


退けられる。

守ってくれる夫もいる。

もう、コントロールもされない。


恐怖が全くないとは言えないけれど、

「許す」ことを脅かすほどではなくなった。


それなら、許した方がいいよね。

私も、許される気がする。


今、完全に許したか?はわからない。

でも、かなりそれに近い。

たぶん、許せている。


あとは、本人に直接会って

「許します」と伝えたいと思う。


シンデレラが結婚前に継母に堂々と伝えたように。


あれは、自分が許されて、王子と新しい生活を幸せに送るため、だよね。

誰かを恨みながらなら新生活を送りたくないもの。


また、継母が正直で惨めで、同情できる感じのも現実的だった。

完全な悪役でなくて、継母なりの事情があるっていうね。


はぁー。

口からため息。

でっかい、漬物石が生まれた気分。


よかったー。よかったー。

夫が居てくれたから、こうなれた。

よかった。


シンデレラ (字幕版)

シンデレラ (字幕版)


真穂さんの音声配信5月1回目を聴いて。

配信された直後に聴いて、一週間近く経ってまた聴いた。

 

直後に聴いたときは、前回もそうだったんだけれど、

「タイムリーすぎる!!(笑)」

→「本当にそう思う!!(笑)」

って感じ。

 

近頃は「自分を見つめる~」とか、「虐待親との関係を考える、落とし前(?)をどうするか」なんてことはほとんど考えていない。。汗。

 

だから前のように、このブログに「あ~!!書かなくちゃ!残さなくちゃ!!」みたいな衝動が激減している。

 

音声配信がタイムリーにきて、「そうだな~」と思うことがあって、このブログを書いて。。で、「このままで良いんだな。こっちの方向?でいいんだな~」と納得する感じ。

 

最近は、目の前のこと、私自身が幸せで、そういうことを考える暇がないというか。。

もう「満たされている」なんだと思う。前からあったんだけど、それに気が付いて、「満喫している」っていうのかな?

 

例えば、楽しい旅行をしていて、その間に「親の虐待が~」なんて、考えなくて。目の前の景色に感動したり、おいしいものを食べて喜んだり。。そんな感じ。

なんて幸せなんだろう!

 

昨年の年末からしばらく、真穂さんにお願いして向き合う時間を取って、勘違いもやって(苦笑)、ばかもやって。今はわざわざ向き合う時間を取ってなくても、楽しくてそれでよいんだな。

 

もし「向き合うことが必要な時期」が来たら、きっとまたタイムリーになにかあって、そのときに考えるでしょう。そう、うまくいくようにできているんだと思う。

 

と。2回聴いてみて。やっぱりそう思うんだな~。

 

ただ一か所気になる、引っかかりがあったとしたら、

「婚約破棄された相手でも、愛してくれていたんじゃないか」っていうところで。

 

恋人でも親でも、単純に恨み、全部否定できるなら、それは簡単?で。

愛がまざってるから、ややこしい。

 

自分が「愛されていた」「愛していた(している)」相手への願望、、、もろもろ。

色々まざっているから。感情も、時間も、できごとも。。

整理できない。もやもや、わからない。踏ん切りを付けられない。認識がゆがんでしまう。

 

私の親も、きっと「愛してくれていた」んだろう。そういう時期があったんだろう。

それが、執着になったり、無理をしすぎてひずみが出来て、ゆがんで、暴力に走ったり、周りへ誇示するためのトロフィーにしようとしたり。。したんだろう。

 

だからって、されてきた数々のことを、許す気にはなれない。

親だって大変だったから、もう許そう、なんて気にはなれない。

 

そう、単純に割り切ることはできない。

 

今私は、「整理しなくてよい」と思っている。

長年のこと、無理やり割り切るのではなくて、感情のままで良いと思っている。

 

身体に残ってる傷をみて「これがなければ!!」と恨むのだって自由で。

ただ、親にはもう何も求めるつもりはない。「和解する」とかそういうたぐいのもの。勝手に、自由に生きてくれたらよいと思う。

 

ここに、「私とのつながり」を求められると全力で拒否する。

拒否する自分を、許す。

 

今の私の「あしもと」「大切な家族」は、親ではなく、「私と夫、こども」だからだ。

本当は、親も、夫も、子供も大事に、、できたらよいなと思う。愛せたらよいのにな、と思う。

 

親はもう私を傷つけないかもしれない。でも、安心しきることはできない。

大人になって「許した、和解した」と仲良くなったあとも「この人は変わっていない」と実感したから。たった数年前のことだ。

 

許した方が、きっとラクになれるんだろう。

 

でもね、「傷つけられる恐怖」は、親が生きている限りある。

 

だから、許すのは親が死んだときだ。

私が絶対に傷つけられないと、完全な距離ができてからだ。そこは、もう割り切った。

 

親は反面教師。

自分、夫、子供を軽んじて(甘えて?)大切にしなくて、傷つけて。周りの遠いところから認められようとして、近いものを傷つけた。

 

今考えると、親は夫(私の父)と子供(私)より、自分の親へ認められようとしていたんだと思う。

だから「私は親より、自分。夫と自分の子供が大切。」これで良いんだ。

 

「許さなくちゃいけないかな」「そうしないと自分が幸せになれないかな」と疑問に思うことさえ、もうやめる。

そう思うことは、自分を大切にしていると思えない。

こういうことは、考えて決めるものでもない。

 

私は、私の「今のあしもと」と「自分自身」を大切に、ハッピーに生きていく。

今、大切なのは、私の夫であり子供。

 

この毎日を大切にしたいな~と思っている。

今の幸せを、大切に、有難く満喫して日々を送っていこう。

全部ひっくるめて、みんな好き。

季節が良い〜。気持ち良い〜。


全てが幸せな生活ですか?

満たされてますか?

コレで満足ですか?

目標な生活を送れてますか??


に、全部イエス!!と即答できるわけではないのだけれど。


もっと、休みたいし自分の時間が欲しいし、お金も欲しいし旅行も行きたいし、広い家に住みたいし!!笑


なんだけど!


今の自分も、夫も、家族も、全部好き。

完璧じゃないけど、それも良い。


ぜーんぶ、ひっくるめて、好き。


発展途上の自分も、好き。


目標や理想はあれど、それに向かって道を進めている途中で。その意識を持っている自分が好き。


完璧、正しい好き


でなくて良い。


正しくなくても、完璧でなくても、


今の自分も、夫も、子供も大好き。



「こういうことがあった。違うよね?正しくないよね??」

のグチを言う同僚も、好き。


好きじゃなかったら、そもそも、グチを聴かないんだけれど。


「正しくない=良くない=キライ!」


もわかる。

グチを言うのに、それだけ同僚にも余裕がないんだなー、追い込まれてるんだなー、とも思う。


「グチを言わないとやってらんない!!」

っていうのもわかるし、

私も一緒に言ってスッキリするときもある笑。



グチを言う=発展性がない=悪い


と言うものでもないんだな、と思う。


グチを言って、スッキリするならそれも良い。


そんな同僚のことも好きで、一緒にいて楽しい。



不完全でも、正しくなくても、

みんな好き。



良い季節になったな〜(*´꒳`*)